父との思い出は、キャッチボール。
使い古しのグローブをどこからかもらってきた父と、
ボールを投げあった。
父の投げるボールは、キャッチするとジーンと手がしびれたものだ。
釣りにも行った。
相模湾といえばキス。
浜から投げてヒットすれば、クーラーいっぱいにキスが釣れた。
そんな日の晩御飯は、キスフライのご馳走だった。
何年か前から始めたパソコンは、
意外とはまり、自分でexcelなどを使って
医療費などの集計・管理をしていたらしい。
もちろん、年賀状もパソコンで作って出していた。
自分のメカやパソコンが好きだという嗜好は、
どうやら父親譲りらしい。
そんな父が、昨晩息を引き取った。
一ヶ月ほどの闘病の後。
静かに眠るがごとき最後だったらしい。
容態急変の知らせを受けて、すぐに会社を飛び出たが
汐留から伊勢原はあまりにも遠く。
電車の中で弟からのメールを受け取った。
「親父、力つきた」という文字を読んで、手が震えた。
享年73歳。
まだまだ若い。
これから一緒にやることはたくさんあったのに。
とにかく今はお疲れ様と言おう。
少しだけ、そこで待っていてくれ。
俺もいつかはそこに行くことになるだろう、多分。
それまでは、さようなら。
投稿者 MAX : 2005年12月01日 01:50 | トラックバックMAX様。
素敵な息子さんを育まれたお父様に、お疲れ様でした、とお伝えください。
ご看病くださった皆様、ありがとうございました。
遠い北陸の地からご冥福をお祈りします。
Posted by: 大門由美子 : 2005年12月01日 23:31MAXさんのお父様とゆう漢の第二の旅が始まります
きっといつもの笑顔で旅立って行かれると思います。
またいつもの笑顔で漢がいられるよう、MAXさんの
頑張っている姿をこれからも見ていられると思います。
旅の道中の安全を祈りつつ、ご冥福をお祈り致します。
押忍
Posted by: プレイン : 2005年12月02日 00:01謹んで御尊父のご冥福をお祈りいたします。
ご家族皆様に看取られてのご旅立ちでしたの
でしょうか。お父様との思い出はMAX様に、
そしてまた次の世代にと、命とともに受け継が
れていくと思います。
これから益々寒さが厳しくなる季節になりま
す。MAX様ほかご家族ご一同様、くれぐれも
お体にお気をつけください。
お父様のご冥福をお祈りします。
私も父をだいぶ前に亡くしましたが、私も遠くに住んでいたので、死に目には会えず、それが心残りでした。
ただ父はあの世で気ままにやっていそうな気がしています。
お力落としと存じますが、いつかまた「MAXのおもちゃ箱」に復帰してくださいますよう。
皆さん、ありがとうございます。
まぁ、いつかは来ることとは思っていましたが、
予想より早く来てしまったなぁというのが正直なところです。
諸々こなさなければならない用事もありますし、
しばし休養します。
自分が29歳の時、父が亡くなりました。享年65歳でした。まだまだ小僧の自分が大きな拠り所を失い、仕事でも家庭でも悩みがあっても相談する相手も無くしばらくは辛い日々を送りました。
それでも生きていかなくちゃいけない...父が生きた証しは自分の今後の生き方で決まると思った時に、10年20年後に自分の成長を亡き父の墓前で語れるよう頑張ろうと決めたのでした。
それから早14年、少しは成長したのでしょうか?
それはMAXさんをはじめ素敵な仲間が出来たということだけでも報告できると思ってます。
ご尊父様のご冥福をお祈りすると共にMAXさんとご家族様のご健勝をお祈りします。
Posted by: おれさま : 2005年12月08日 17:41